二コリント3:4-6「文字は殺し霊は生かす」
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。 (二コリント3:6)
「新しい契約」の特徴は、エレミヤ書31章33節に「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」とありますように、神様の律法が信じる人々の心の中に聖霊の働きによって記されるということです。また、34節に「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」とありますように、信じる人々の罪が赦されるということです。そして、この「新しい契約」は、イエス・キリストを信じることによって、神様と私たちの間に結ばれる契約です。ですから、キリストの福音を宣べ伝えることは「新しい契約に仕える」ことです。「新しい契約」では、神様の律法が信じる人々の心の中に聖霊の働きによって記されますから、「新しい契約に仕える」ことは、「文字ではなく霊に仕える」ことです。また、「新しい契約」は、信じる人々の罪を赦して新しく生かすものです。ですから、「文字は殺しますが、霊は生かします」と言われているのです。
それにしても、なぜわざわざ「文字は殺します」と言われているのでしょうか?この場合の「文字」は旧約聖書のモーセ五書に記されている律法を指しています。モーセ五書の律法は、人々にいかに生きるべきかを教えているのですから、人々を生かしているのではないでしょうか?いいえ、いかに生きるべきかを教える文字は、結局のところ自分はその教えを守ることができない、という罪の自覚に人々を追いやるのです。パウロがローマの信徒への手紙3章20節で「律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」と述べているとおりです。また、いかに生きるべきかを教える文字は、それに対する反発さえ呼び起こすのです。パウロがローマの信徒への手紙7章7節と8節で「律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました」と述べているとおりです。
ところが、キリストの「新しい契約」に基づいて語られる言葉は、聖霊の働きをともなっています。ですから、聖霊の働きによって、信じる人々の罪を赦し、信じる人々の心に神の律法を記して、新しく生きることを可能にするのです。
(3月14日の説教より)