二コリント2:14-16「神に献げられる良い香り」

神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます
(二コリント2:14)

 

ローマ帝国の軍隊の勝利の行進の際には、お香が焚かれたり花が散らされたり香水がまかれたりして、さまざまなよい香りが行進に漂っていました。そこで、パウロはその香りのたとえを用いて、14節の後半で「わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」と記しています。自分がキリストの勝利の行進に捕虜として連なることによって、「キリストを知るという知識の香り」がまかれることを知って、パウロは感謝せずにはおれませんでした。苦しみと悲しみと不安の中で前進するパウロの姿は、周囲の人々に十字架に向かって前進したキリストの姿を、直感的に思い浮かばせるものであったのです。もちろん、キリストを知るためには、聖書に基づいてイエス・キリストとはどのような御方であるかということをよく聴かなければなりません。しかし、聴き始めるためには、まず声のする方向に行って耳を傾けることが必要です。そして、そのために、神様はキリストに捕らえられたパウロのような人を用いて、「キリストを知るという知識の香りを漂わせて」くださるというのです。

「香り」というと、人工的に作られた香水のことを考える方もおられるでしょう。外出のときなどに体に香水をつけて良い香りが漂うようにすることがあります。それでは「キリストを知るという知識の香り」も、そのような良い香りを漂わせてやろうとして、人工的に作って体につけるようなものなのでしょうか?そうではありません。次の15節には「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」とあります。つまり、周囲の人々との関係で「キリストを知るという知識の香り」となるのは、神様との関係で「キリストによって神に献げられる良い香り」であるような香りなのです。そして、「キリストによって神に献げられる良い香り」と言うときに、パウロが旧約聖書の時代の礼拝で献げられていた「焼き尽くす献げ物」のことを考えていたことは間違いありません(レビ1:3-9参照)。           (2月21日の説教より)