二コリント2:12-13「不安の中で前進する」
「兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。」
(二コリント2:13)
何らかの理由でテトスがトロアスに来るのが遅れたため、パウロはテトスに会えないまま、次の目的地であるマケドニア州に向けて出発せざるを得なくなりました。おそらく、コリント教会の信徒たちがパウロの「涙の手紙」の意図をよく理解して悔い改めるのにはある程度の時間がかかったからではないでしょうか。パウロがトロアスでどのくらいの期間伝道したのかはよくわかりません。12節の「人々に別れを告げて」とある「人々」はクリスチャンの人々ということでしょうから、トロアスにもキリストを信じる人々の群れがあったことは確かです。そして、トロアスで会うことができない場合は、マケドニア州で会おうという約束をテトスとしていたのでしょう。マケドニア州にはパウロと親しい交わりをもってパウロの伝道を支援していたフィリピやテサロニケの教会がありました。パウロはそれらの教会の信徒たちとも会いたかったことでしょう。それらの教会を訪ね、そこでテトスと会うことも容易であったに違いありません。
実際、パウロはマケドニア州でテトスと再会することができました。そして、コリント教会についてのよい知らせを聞くことができたのです。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。」(二コリント7:5-6)テトスは、「涙の手紙」を読んだコリント教会の信徒たちの多くが、パウロを「慕い」パウロのために「嘆き悲しみ」パウロに対して「熱心であること」、そしてそれだけでなく「悲しんで悔い改めた」ことをパウロに伝えてくれたのです(同7:7-9)。このようにして、パウロは苦しみの中で慰めを受け、新たな力を与えられました。そこで、本日の聖書の箇所のすぐ後の14節では、「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」というように、まったく違った調子で次の段落を書き始めるのです。
(2月7日の説教より)