ルカによる福音書21:12-19
「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
(ルカ21:18-19)
「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」というのは二通りの意味に解釈することができます。第一に「父なる神の許しがなければ」という言葉を補って、「髪の毛の一本も決してなくならない」というのを文字どおりに取る解釈です。つまり、迫害にあったとしても、父なる神の許しなしには、敵は私たちの髪の毛一本すら損なうことができないと信じるという解釈です。この解釈の良い点は、私たちに具体的にわかりやすく神への信頼を教えることです。ただし、神の許しがあれば私たちは迫害する者のなすがままにされることにもなるのが弱点です。そこで、第二の解釈を考える必要があります。その第二の解釈とは「髪の毛の一本も決してなくならない」というのは、あくまでも神の守りが完全であることを表すたとえで、キリストによって与えられる永遠の命は誰によっても奪い取られることがないということを指しているという解釈です。こうして考えてみると、第一の解釈と第二の解釈を組み合わせることにより、「迫害を受けたとしても父なる神の許しがなければこの世の命を害されることはないし、そればかりか永遠の命はいかなる状況でも完全に保証されているのだ」という意味を読み取ることができます。
ここで問題になっているのが、この地上の朽ちるべき命のことではなくて永遠の命であることは、次の19節の「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」とあることからも明らかです。迫害の苦しみに耐えることにより、私たちがキリストの恵みの中心である永遠の命に大胆に近づくことができるのであります。宗教改革者のカルヴァンは、クリスチャンが己れの十字架を担うことを述べるところで次のように記しています。「もしわれわれが自分の家から追放されるならば、われわれはそれだけますます神の家族のうちに受け入れられるのである。もしわれわれが恥と不名誉の烙印をおされるならば。それだけいよいよ高い地位を神の国のうちに得るのである。もしわれわれが殺されるならば、それによってわれわれには浄福な生への門戸が開かれるのである。」(『キリスト教綱要』第3章8章7)
(12月6日の説教より)