コリントの信徒への手紙二2:5-8
その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。
(二コリント2:6)
「あの罰」とはどのような罰だったのでしょうか?コリントの信徒への手紙一の5章で、パウロは信徒たちに「みだらな者」にどのように対処するかを命じています。その結論は「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい」という厳しいものでした。そうすると、「あの罰」とは、聖餐式に参加することをやめさせる陪餐の停止であったのでしょう。そして、「あの罰で十分です」ということは、罰を受けた「みだらな者」が悔い改めたということなのでしょう。
7節でパウロは、罰を受けた信徒が教会の交わりに復帰できるように配慮することを勧めています。すなわち「むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです」とあります。罰を受けた信徒の気持ちを想像してみますと、その人にとっては、偶像礼拝やみだらな行いはごく普通の日常的な行いだったのでしょう。ギリシアのコリントはそのような雰囲気をもった町でした。ところが、パウロがコリントにやって来てそれらのことをやめるように強く指導したものですから、当然のことのように反発したのでしょう。そして、教会の仲間たちも自分に同情してくれていることを心強く思っていたのでしょう。「あのパウロが何と言おうと、コリント教会の仲間たちは自分の味方だ」と思い込んでいたのでしょう。ところが、パウロから届いた「涙の手紙」が朗読されると、形勢は逆転し、コリント教会の信徒たちの多くはパウロの指導に従うべきだという考えに変わりました。そして、この信徒には実際に陪餐の停止のような厳しい罰が与えられました。この信徒は思ったことでしょう。「私はパウロ先生に反抗して罪を犯した。そして、陪餐を停止されて教会の交わりができなくなった。もはや私はコリント教会で受け入れられていないのだから、教会の信徒をやめてしまおう」と。信仰の未熟な人は、極端から極端に流れやすいものです。他の信徒たちを味方につけてパウロに反抗していたこの信徒は、形勢が逆転した以上もはやコリント教会に自分の居場所はないと思い込んでいたのではないでしょうか。
パウロは、問題を起こした信徒のそのような心の動きを読み取っていました。そして、今やこの信徒を罰するときは終わり、赦して受け入れるべきときであると判断しました。そこで、「その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです」と信徒たちに勧めたのでした。
(11月8日の説教より)