コリントの信徒への手紙二1:1-2

わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 (二コリント1:2)

この手紙(コリントの信徒への手紙二)の背景には、パウロとコリント教会との緊張した困難な関係がありました。困難な関係にある相手に対して、いったいどのように手紙を書けばよいのか、普通であれば大いに苦しむところでしょう。しかし、パウロは迷うことなく、父なる神とキリストからの恵みと平和があなたがたにあるようにという祈りの言葉をもって手紙を書き始めます。
人間の目から見れば、パウロとコリント教会の信徒たちは緊張した困難な関係の中にあります。しかし、神様の目から見れば、パウロもコリント教会の信徒たちもキリストの恵みと平和の中にあります。キリストの恵みとは、キリストを信じることによって与えられる罪の赦しと永遠の命の恵みです。そして、キリストの平和とは、キリストを信じることによって与えられる神様との平和な関係と、神様との平和な関係を与えられた者同士の平和な関係です。これまでさまざまな出来事のあったコリント教会に対して、パウロはキリストの恵みと平和という同じ土台の上に立って、向き合い、手紙を書こうとしているのです。
人と人との交わりは、語りかける人とそれを聴いて応答する人の両方によって成り立ちます。一方が誠実に語りかけても、他方が心をかたくなにして応答しなければ、交わりは成り立ちません。これまで、パウロが心を込めて語りかけても、コリント教会の信徒たちはパウロの語りかけに素直に応答しないことが多かったのです。ところが、この手紙の前に書かれた「涙の手紙」を読んで、コリント教会の信徒たちに変化が生じました。悔い改めてパウロの指導に従おうとする確かなしるしが見られたのです。パウロは、コリント教会の信徒たちもキリストの恵みと平和という同じ土台の上に立っていることを確信することができました。そして、この手紙においても、キリストの恵みと平和という同じ土台の上に立って対話ができると信じたのでしょう。そして、手紙の最初に「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」という挨拶の言葉を記したのでしょう。(9月6日の説教より)