コリントの信徒への手紙二1:12-14
わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。(二コリント1:12)
当初、パウロはマケドニア経由でコリントへ行き、ゆっくりと滞在して信徒たちの指導をする予定であると手紙に書いていました(一コリント16:5-6)。ところが、コリントに派遣したテモテから、コリント教会の状態が前よりもさらに悪くなったという報告を受けたパウロは、予定を変更して、急遽コリントへと行き、短い期間コリントで指導をしました。残念なことに、この訪問はパウロにもコリント教会の信徒たちにも悲しみをもたらす結果に終わりました(二コリント2:5)。おそらく、パウロが直接に会って「みだらな者」を指導して悔い改めさせようとしたにもかかわらず、その人は悔い改めないでパウロに反抗したのでしょう。そして、深刻な対立が生じて「悲しみの原因となった」(二コリント2:5)のでしょう。そこで、この手紙の2章1節にあるように「そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい」と決心したパウロは、コリント教会の信徒たちに涙ながらに手紙を書きました(二コリント2:4)。この手紙は「涙の手紙」と呼ばれます。パウロの「涙の手紙」を読んだ信徒たちの多くは、悔い改めて「みだらな者」に対して陪餐の停止か除名のような思い切った処置をしたようです(二コリント2:6、7:8-9)。しかし、ゆっくりとコリントに滞在して指導するという予定を実行しないで、短期間の訪問と手紙で問題を解決しようとしたことへの不満は残っただろうと思われます。そして、そのことから、パウロの誠実さを疑うという人たちもいたようです。
しかし、パウロは「人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました」とはっきり記します。「神の恵みの下に」というのは、神様の恵み深いご計画に従って、という意味でしょう。つまり、ゆっくりとコリントに滞在して指導するという予定を変更したのは、神様の恵み深いご計画に従うという単純で偽りのない理由からだった、ということです。つまり、一言で言えば、神様の御心に従ったということです。 (9月27日の説教より)