一コリント15:54-58
わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。 (一コリント15:57)
復活を信じる人は、苦しいことがあってもそれを忍耐して神様の御心に従って生きようとします。また、自分の身に永遠の滅びを招くことのないように、欲望に従って生きることを慎みます。つまり、パウロがローマの信徒への手紙の12章の2節と3節で述べているように、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ」ることによって、「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるように」なるのです。キリストの十字架と復活を信じることによって、死の力や罪の誘惑に屈服するのではなく、むしろそれらを克服して生きていくということです。
そこで、パウロは続く58節で「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」とコリント教会の信徒たちに勧めています。「わたしの愛する兄弟たち」という呼びかけの言葉は、キリストの復活という最も基本的なことすら信じようとしない信徒たちのことを、パウロが異端者と決めつけるのではなく、愛する信仰の仲間として指導しようとしていることを物語っています。そして、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい」という勧めの言葉は、目の前の欲望によって右往左往することなく、終わりの日の復活を目標にして堅実に生活をしなさいということです。「主の業に常に励みなさい」とは、主イエス・キリストを証しする働きに励みなさいということでしょう。さらに、「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」という励ましの言葉は、キリストの十字架と復活を信じてキリストと結ばれているならば、キリストを証しするあなたがたの労苦は決して無駄にならず、実を結びます!という力強い約束の言葉です。 (6月21日の説教より)