「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。」
(ルカ12:33)
このみことばを読むときに、貧しい人に地上の財産を施せば神の国の自分の財産が増えるというのは、行いと引き換えに神の祝福を得ることができるという「行いによる義」の思想ではないか、と疑問をもたれる方もおられるかもしれません。
永遠の命は人間の行いによってではなく、神の恵みによって、キリストを信じる人々に無償で与えられます。マタイによる福音書20章のぶどう園のしもべのたとえは、このことをよく表しています。すなわち、朝早くから働いた人も、夕方になって働き始めた人も、労働時間の長短にかかわらず同じ報酬を受けるのです。神の祝福は人間の行いの功績によるのではなく、神の恵みと憐れみによって与えられるということがわかります。ところが、ひとたび神の子とされ永遠の命を受け継ぐことが約束された人は、善い行いをして、その行いを神の憐れみ深い御手にゆだねることによって、神の子であること、永遠の命を受け継ぐ者であることが、いよいよ確かにされるのです。それは、人間の行いが神の御前で功績となりうるという意味ではなく、人間の弱さをご存知である神が、私たちを勇気づけるために寛大にも私たちの行いを受け入れて報いを与えてくださる、という意味なのであります。貧しい隣人のために自分の財産を用いるときに、それは主に対して献げられたものとなります。そして、天に財産を持つことになります。
世界の中で豊かな国に住むクリスチャンが心すべきことは、信頼すべき財産をどこに持つかということです。「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」(34節)と教えられているように、天の財産に信頼する人は、心が天国にあり、揺るがぬ平安を得ています。反対に、地上の財産に信頼する人は、心が地上に捕らわれていて、いつも揺れ動いています。地上の財産は不安定だからです。
(1月19日の説教より)