「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」      (ルカ12:15)

 

本日の聖書の箇所は、現代の社会に非常に意味のあるメッセージを含んでいます。すなわち、この世の財産は、それ自体が人間の命を救うものではなく、むしろそれを神との交わりを豊かにするために用いなければならない、ということです。

16世紀の宗教改革者たちは、この世の財産についてバランスのとれた考え方をしていました。たとえば、カルヴァンの『キリスト教綱要』には、単なる禁欲も節度のない放縦もどちらも神によって与えられた物の正しい用い方ではない、ということが教えられています(3篇10

章1-3)。そして、「この世を用いる者は用いないかのようにせよ」(一コリント7:31)という御言葉により、物質を用いつつしかも物質に依存することのないように(3篇10章4)、さらに各人は神から与えられた「召命」に従って、慎み深く生きるようにと勧められています(3篇10章5)。これは、後に近代西洋社会を形作る重要な考え方となりました。すなわち、与えられた財産を神のために用いつつ、自らは神から与えられた「召命」すなわち生活のしかたに応じて慎み深く暮らすという考え方であります。英語で職業のことをvocation(ヴォウケイション)と言いますが、これは「召命」というラテン語vocatio(ヴォカティオ)に由来しています。

ところが、西洋社会においてはこのような健全な考え方が変質して、いつの間にか物質主義に陥ってしまいました。そのことは、現代のアメリカの文化によく現れています。そして、第二次大戦後、アメリカの文化を物質主義中心に受け入れた日本も、貪欲と物質主義に支配されてしまいました。このような日本の中で、私たちは持ち物や財産を神の栄光のために節度をもって用いていくキリスト教的な生き方をしたいものです。     (1月5日の説教より)