「そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」
(ルカ11:26)
この御言葉を個人の生き方のレベルで考えてみますと、悪から一度回心しながら積極的に善の方向に歩んで行かなかった人は、前にもまして悪の方向に深入りしてしまうということです。すなわち、ペトロの手紙二2章20節で、「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります」と教えられている場合のことです。この御言葉は、教会の中にも、キリストの救いを味わっていながら、キリストに自分を献げるのではなく、古い生き方を固守して改めようとしない人がいるということを指摘しています。キリストを信じることによって罪赦されることは受け入れるが、聖霊の働きによって魂が清められていくことは受け入れないという人や、一度自分の人生の危機のときに頼るものが欲しくてキリストを受け入れたが、その後日ごとに悔い改めて信仰の生活を続けていくことをしない人には、この指摘が当てはまるでありましょう。
使徒パウロが教えているように、クリスチャンの体は神の聖霊が宿ってくださる神殿です(一コリント6:19)。ですから、本当のクリスチャンは、いつでも悪霊が戻って来ることができるような空き家にはなりません。本当のクリスチャンは自分の魂を神に明け渡しますから、神の聖霊が魂に宿ってくださるのであります。本当のクリスチャンは、すでに部分的には「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)という状態にあります。そして、このキリストの支配は聖霊によってさらに進んでいくのです。ですから、皆様が聖書を読み御言葉の解き明かしを聴くときには、単に心理的な慰めを受けることだけでなく、自分自身が変えられることをめざして聖書を読み御言葉の解き明かしを聴いていただきたいのであります。 (10月27日の説教より)