「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。」 (ルカ6:47-48)
どのように信仰深い人であっても、キリストに対して100パーセントの完全な服従をささげることはできません。ハイデルベルク信仰問答の第114問は、悔い改めをした「もっとも聖い人たちでも地上の生活にある間は、ほんのわずかばかりこの服従をし始めるのにすぎません」と教えています。しかし、「ほんのわずかばかりこの服従をし始める」のであっても、御言葉を聞くだけでなにも行わないこととは全く違うのです。この「ほんのわずかばかり」の服従が、神の憐れみによって受け入れられて、確かな信仰生活の基礎となるのであります。それはちょうど、0と0.1が全く違うようなものです。0は何倍しても0ですが、0.1は10倍すれば1になり、100倍すれば10になります。そして、私たちのささげる「ほんのわずかばかり」の服従を10倍、100倍にして、確かな信仰生活の基礎としてくださるのは、神様であります。
ですから、キリストの御言葉を祈りのなかでご自分の生活に適用してみてください。そうすれば、キリストに従うことのできない古い自我の存在に気付き、ご自分の罪を知ることができるでしょう。そして、日々罪を告白してその赦しを心から願うときに、聖霊の働きによってわたしたちの魂のなかで何かが変えられ、わずかでもキリストへの服従をし始めることができるようになるでしょう。御言葉を聞くだけで行わない人から、聞いて行う人へと変えられていくことでしょう。そのような変化が起こるとすれば、それは、建物の基礎工事のように、外からは見えにくい日々の悔い改めの祈りによるほかないのであります。 (9月1日の説教より)