イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。・・・舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。   (マタイ14:29、33)

 主イエスは、わたしたちを群衆の中から取り分けて、礼拝において、御言葉によって訓練なさいます。それはわたしたちにとって「強いられる」と感じることもあります。素直に従ったまでは良いとして、思いがけない経験を通ることになるかもしれません。
 主は、ご自分の弟子たちに、さまざまな体験を通して、ご自身がどういう方であるかを分からせようとなさいます。キリスト者の訓練とは、実に、イエス・キリストとはどういう方であるかを知ることにあります。
 ペトロがイエス様の「来なさい」の招きに応じたのは信仰でした。彼は舟から降りて水の上を歩き始めたのです。しかし、強風に気がつくと恐れを感じ、沈み始めます。もし、イエス様だけを見つめて進んでいったら違った結果になったかもしれません。「信仰の薄い者(小さな信仰)」とは、大胆に従いきれない弱さを示します。
主イエスはいつもわたしたちの身近におられ、恐れに襲われたとき、「すぐに」声を掛け、沈みかけたとき、「すぐに」手を伸ばし、時に叱咤激励して、わたしたちにご自身に対する信頼を強めていってくださいます。
 自分がしたいこと、やりたいことのみを追いかける生き方では、大切なことが身についていきません。わたしたちは、主に「強いられ」て、ある状況に置かれ、それまで知らなかった主の一面を発見することがあります。
信仰の訓練とは、礼拝で語られる御言葉によって導かれ、経験を通して主イエス・キリストが「神の子」であることを知ることを目標とします。それは、わたしたちを主の弟子として整えるためであり、さらに喜びをもって主にお仕えするようになるためです。主は、今日も「来なさい」と招かれます。(8月25日の吉平敏行教師の説教より)