イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。
                 (ルカ7:14-15)

 キリストはすでに死んだ人に向かって「起きなさい」と命令されました。もし、普通の人が死人に向かって「起きなさい」と命令したとすれば、それは意味のないことです。普通の人は死に打ち勝つ力がありませんから、死人に向かって「起きなさい」というのは空しいことです。しかし、キリストは死に打ち勝つ力をもっておられました。ですから、死人に向かって「起きなさい」と命令することがおできになったのです。
 本日の聖書の箇所の前の7章1節から10節には、キリストを信じたローマの軍隊の百人隊長の話が記されています。百人隊長は「わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」と語りました。そして、キリストがひとこと言ってくだされば、自分の病気になった僕がいやされると信じました。そして、事実そのとおりになりました。死人であっても、キリストが命令されればそのとおりのことが起こるのは、病人だけでありません。死人であっても、キリストが命令されればそのとおりのことが起こるのです。キリストが死んだ息子に向かって「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と命令されると、その御言葉のとおりに死んでいた若者が生き返ってものを言い始めたのでした。キリストは、だれも打ち勝つことのできなかった死の力を「起きなさい」というひとことで打ち破られたのであります。
 キリストの死を打ち破る力は、キリストご自身の生涯において鮮やかに表わされています。すなわち、キリストは十字架の上で死にましたが、三日目に復活し、天に昇って全能の父なる神の右の座につかれたのです。四つの福音書はすべてキリストの復活を証言しています。使徒パウロもコリントの信徒への手紙一15章3節から5節において「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」と記しています。キリスト教においてキリストの十字架と復活は「最も大切なこと」です。キリスト教を信じることは、死を打ち破るキリストを信じることなのであります。 (6月30日の説教より)