これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。
(一コリント10:6)
パウロは旧約聖書のイスラエルの人々が荒れ野の旅の間に犯したさまざまな悪い行いを列挙して、コリント教会の信徒たちに、信仰の先祖であるイスラエルの人々のようになってはいけない、と警告をしています。パウロがイスラエルの人々の悪を挙げるのは、ただ単純にこのようなことが昔にありました、と言っているのではありません。イスラエルの人々がしていた悪い行いと、コリント教会の信徒たちがしている悪い行いに共通するものがあることを見抜いて、それらの共通するものを指摘しているのです。
それらの共通するものとは、偶像礼拝とみだらな行いと指導者への不平です。コリント教会の信徒たちは自分たちの知識を誇り、指導者であるパウロを軽んじてその指導に従いませんでした。そして、信徒たちがみだらな行いをしたり偶像礼拝をしたりしていたのです。この手紙の5章1節ではコリント教会に父親の妻と性的な関係をもつ信徒がいたこと、6章16節では娼婦と交わる信徒がいたこと、そして、8章10節では偶像の神殿で礼拝儀式や食事に参加している信徒がいたことが指摘されています。ですから、10章7節の「彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない」という警告や8節の「彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう」という警告は、コリント教会の現実を踏まえた警告です。さらに10節の「彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない」という警告は、イスラエルの人々が不平を言ってモーセとは違う別のかしらを立てエジプトに帰ろうとしたように、不平を言ってパウロの指導に反抗してはいけないという警告でしょう。
なぜパウロはこのように繰り返しコリント教会の信徒たちに対して警告をするのでしょうか。それは、イスラエルの人々がカナンの地に着くことなく荒れ野で死んだように、コリント教会の信徒たちが神の国の祝福に入ることなく地上の歩みで滅びてしまうことのないようにするためでした。
(1月13日の説教より)