わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。
(一コリント9:1)

コリント教会の信徒たちは、自分たちに対して厳しい指導をするパウロの権威を否定することでパウロに対抗しようとしていました。わかりやすく言いますと、コリント教会にかかわった伝道者のうちでパウロは下のランクの権威しかもたない人物だから、パウロの言うことになどに従わなくてよい、と主張したのです。その根拠となったのが、パウロがコリント教会から報酬を受け取らなかったという事実です。パウロがコリント教会から報酬を受け取らなかったのは、信徒たちに経済的な負担を負わせないでできるだけ多くの人々をキリストへと導くためでした。ところが、コリント教会の信徒たちは感謝をするどころか、パウロは報酬を受け取ることのできないいわば二流の伝道者だから報酬を受け取らないのだと曲解したのです。これはあまりにひどい曲解です。しかし、何とかしてパウロの権威を否定しようとしていた信徒たちにとっては、格好の口実でした。
そこで、パウロは「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」と反論するのです。「自由な者」というのは、後の4節にありますように、福音を宣べ伝える報酬を受け取って生活をする自由をもつ者ということでしょう。そして、「使徒」とはキリストに遣わされてキリストのことを宣べ伝える人のことです。「使徒」は復活のキリストに出会った人でなければなりません。使徒言行録の1章21節から22節には、使徒の任務が「主の復活の証人」であることが記されています。パウロは十字架上で死んだキリストが三日目に復活したときには、未だキリストの弟子ではありませんでした。ですから、復活の直後にキリストに出会ったわけではありません。パウロが出会ったのは、天に昇られた復活のキリストでした。すなわち、ユダヤ教の指導者としてクリスチャンを迫害していたパウロは、エルサレムからダマスコに行く途中で天から語りかけるキリストの声を聞いて回心し、クリスチャンとなったのです。パウロはその時のことをこの手紙の15章8節で復活したキリストが「最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」と記しています。           (10月21日の説教より)