7月29日は、若い方のためのYouth Message Sunday の説教がありました。
説教のあらましを掲載します。

聖書 ルカによる福音書22:54-62

人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。

キリストを見失い自分を見失っていたペトロの、キリストを否定するその言葉が終わらないうちに、ペトロの目を覚まさせるかのように、突然鶏が鳴きました。そして、そのときキリストは振り向いてペトロを見つめられました。おそらく、ペトロと視線が会ったことでしょう。
そのときのキリストのまなざしはペトロに多くのことを語りかけていたに違いありません。まず、最後の晩餐のときに「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」とおっしゃったその言葉をもう一度語りかけていたことでしょう。最後の晩餐のときは予告でしたが、今やキリストはペトロを見つめて無言のうちに「三度わたしを知らないと言いましたね」という確認をなさったに違いありません。61節の後半にありますように、ペトロ自身も「『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した」のでありました。言い換えれば、キリストのまなざしはペトロの罪を指摘し、ペトロがどうしようもなく弱い人間であることを自覚させたのでした。キリストのまなざしは、暗闇を照らすようにペトロの罪を明るみに出し、彼のプライドを打ち砕いたのでした。
しかし、それだけでなく、キリストのまなざしは、最後の晩餐のときにキリストがお語りになったもう一つの言葉をも語りかけていたことでしょう。すなわち、「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)という御言葉です。キリストはペトロの罪を告発するだけでなく、罪を悔い改めて新しく生きるのだ、と無言のうちにペトロを励ましておられたに違いありません。「ペトロよ、三度もわたしを知らないと言ったあなたを、わたしは見捨てません」「ペトロよ、あなたがどんなに信仰の弱い人間であっても、わたしはあなたを弟子として愛し続けます。だから、やがて立ち直ったらわたしの弟子として生きていきなさい」とキリストのまなざしは語りかけておられたに違いありません。
自分自身の深い罪とそれよりさらに深いキリストの愛を知らされたペトロは、外に出て激しく泣きました。それはまず、自分の深い罪を悲しむ悔い改めの涙であり、またそれだけでなく、キリストの愛に対する感動の涙でもあったことでしょう。         (7月29日の説教より)