更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。— 既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。— また、夫は妻を離縁してはいけない。
(一コリント7:10-11)
「こう命じるのは、わたしではなく、主です」とありますように、10節の「妻は夫と別れてはいけない」と11節の「夫は妻を離縁してはいけない」というのは、キリストがマルコによる福音書の10章2-12節で命じておられることです。
新約聖書の時代のユダヤの社会では、夫婦が離婚する場合、夫から妻に離縁状を渡すのが一般的でした。これは、旧約聖書の申命記24章1節で「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」と定められていることに基づいています。しかし、この「何か恥ずべきこと」という言葉が、夫の都合のよいように解釈されていました。すなわち、夫が少しでも気にいらないことがあったならば妻を離縁してよいというように解釈されていたのです。そして、妻を離縁したならば、別の気に入った女性と結婚するということが平気で行われていたようです。つまり、夫が妻以外の女性を好きになった場合に、妻に「何か恥ずべきこと」があったという理由をつけて離婚し、別の女性と結婚するということが行われていたらしいのです。このような当時行われていた習慣に対して、キリストはモーセの十戒の第七番目の「姦淫してはならない」という戒めを念頭に置いて、ノーとおっしゃったのであります。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」(マルコ10:11-12)というのは、当時なされていた恣意的な離婚と再婚について、それは一見正当な手続きを踏んでいるかのようだが、実は姦淫と同じことだと断じられたのでありました。そして、これらのキリストの言葉は、本日の聖書の箇所においてパウロが「こう命じるのは、わたしではなく、主です」と言うときに念頭に置いている言葉でもあったのです。 (7月22日の説教より)