聖 書 コリントの信徒への手紙一5:1-2
現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。
それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。
「ある人が父の妻をわがものとしている」というのは、どのような状況なのでしょうか。おそらく、父親が妻に先立たれたために若い後妻を迎え、その後妻と先妻の子との間に性的な関係が生じたということでしょう。しかも、それが一時的なものではなく継続的なものであり、後妻と先妻の子が夫婦のような関係をもって生活していたのでしょう。もし、この父親が後妻を迎えた後で死んでしまってこの世にいないか、あるいはこの父親が後妻と離婚して、その結果後妻と先妻の子が夫婦のような関係になったというのであれば、スキャンダラスではありますがそれでも比較的理解しやすいことです。しかし、もう一つ考えられるのは、父親が生きていて現にこの若い後妻と夫婦であるにもかかわらず、同時に先妻の子が後妻と夫婦のような関係になっているという可能性です。つまり、父と子が同時に一人の女性と性的関係を持っている状態です。パウロがこの人を非難する厳しい調子からすると、十分にその可能性があると考えられます。
パウロはこの人の行いを「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」と評して厳しく非難しています。一般にギリシア・ローマ世界には、性を快楽の手段と見るのは当然という空気がありました。紀元前のアテネの政治家デモステネスは、「我々は愛人を楽しみのために、めかけを日常の体の世話のために、妻を正当な子をもうけるために持つ」と演説の中で語ったのだそうです。また、コリントにはギリシア神話の美と恋愛の女神アフロディテを祀る神殿があり、その神殿には1,000人以上の神殿娼婦がいて売春を行っていたと言われています。ところが、そのようなギリシア・ローマ世界であっても近親相姦は法において禁じられ、常識においても忌むべきこととされていました。聖書で近親相姦が禁じられているのは言うまでもありません(レビ18章)。ところが、コリントでは神の民であるキリスト教会の中に、近親相姦をしている信徒がいたのです。 (3月4日の説教より)