聖書のことば コリントの信徒への手紙一 1:13-16
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
使徒言行録によりますと、初代教会ではイエス・キリストの名によって洗礼が行われました。たとえば、聖霊が降ったペンテコステの日に、使徒ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」(使徒2:38)と説教しました。そして、このペトロの呼びかけに答えて、一日に三千人が洗礼を受けました。また、使徒パウロがエフェソで伝道したときにも、イエス・キリストの名によって洗礼が行われ、受洗した人々に聖霊が降ったと記されています(使徒19:6)。この他にもいくつかの例がありますが、要するに洗礼は、それを受ける人とイエス・キリストとの確かな絆のしるしであるということです。
パウロはローマの信徒への手紙6章3-5節で次のように記しています。「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」これを読みますと、洗礼が私たち一人一人を十字架と復活の主イエス・キリストに結び付けるものであるということが分かります。洗礼がキリストの名によって行われるのは、洗礼を受ける人が他ならぬイエス・キリストに結び付けられるためです。キリストとの結び付きなしの洗礼は考えられませんし、洗礼を受けた人が洗礼を執行した司式者に結び付けられるというようなことはありません。ですから、パウロはコリントの信徒たちに、あなたがたは洗礼によってパウロと結ばれたのではないし、またアポロやケファ(ペトロ)と結ばれたのでもありません、と言っているのです。 (7月23日の説教より)