聖書のことば テサロニケの信徒への手紙二 3章 6-9節
兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。
あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。
また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。
援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。
パウロはテサロニケでの伝道において信徒たちから経済的援助を受けずに、自らの手で働きながら伝道しました。その理由がこの9節に述べられています。パウロはコリントの信徒への第一の手紙においても、「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません」(一コリント9:14-15)と記しています。そして、その動機を「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」(一コリント9:19)という大変意味深い言葉で説明しています。この言葉は、福音の宣教のためならば、私は自分の自由をあえて用いないで人々に仕えるのだ、というパウロの決意を表しています。そして、その一つの表れが、当然受ける権利のある教会からの謝礼をあえて受けないで伝道するということでした。教会から当然受ける権利のある謝礼をあえて受けないで教会に仕えるパウロの姿勢に鑑みれば、受ける権利もないのに教会の援助を受けて生活し、それを当然のことのようにしているテサロニケの怠惰な信徒たちの間違いは明らかです。パウロは怠惰な信徒たちを誤りに気づかせるために、あえて自分の例をここで挙げているのであります。
パウロがこの世で働きながら伝道したのは、キリストの福音のためでありました。キリストの福音をよりよく証しするためでありました。そのようなパウロの生き方は、終わりの日が近いことを理由にしてこの世の仕事をせず教会の援助に頼って生活していたと思われる、テサロニケの一部の信徒たちとは対照的でした。パウロの生き方は、キリストの福音を証しするためには何でもするという生き方でした。しかし、テサロニケの怠惰な信徒たちは、キリストの福音を自分に都合のよいように解釈して、何もしないという生き方をしていたのです。 (5月14日の説教より)