聖書 二テサロニケ1:5-7

これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。
              (二テサロニケ1:5)

 
 4節において、テサロニケの信徒たちが「ありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています」と記したパウロは、続く5節以下において、信徒たちに苦難と忍耐の意味を丁寧に解き明かしています。まず、5節前半には「これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です」とあります。テサロニケの信徒たちの苦難と忍耐は、彼らが神の国にふさわしい者であるという神の判定の証拠である、というのです。より分かりやすく言えば、苦難を受け忍耐していることこそ、天国に受け入れられるしるしだ、ということです。

 フィリピの信徒への手紙において、パウロは信徒たちが反対者たちに苦しめられていることが、「彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです」(フィリピ1:28)と記しています。そして、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(同1:29)と言って、キリストのために苦しむことも恵みの一部であると教えています。キリストのために苦しむことは、その人がキリストと結ばれていることのしるしであり、キリストと結ばれているならば、天国に迎えられることが確実だからです。

 さらに、パウロは5節後半で「あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです」と記します。この場合の「神の国」とは、将来、クリスチャンが迎えられる神の国、すなわち天国のことであります。聖書には、キリストがこの世に来られたことによって神の国は既に実現し始めている、という考え方もあります(マタイ12:28)。しかし、聖書全体を読むならば、神の国は終わりの日、キリストの再臨によって完成するものであることが明らかです。本日の箇所においても、神の国はキリストの再臨と最後の審判によって完成することが教えられています(6-7節)。 
               (2月5日の説教より)