聖書 二テサロニケ1:1-2
パウロ、シルワノ、テモテから、わたしたちの父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(二テサロニケ1:1-2)
パウロがテサロニケ教会に対してどのような継続的な配慮をしていたか、ということをテサロニケの信徒への第二の手紙から概観しますと、次のようなことに気づかされます。すなわち、終わりの日を熱心に待ち望むというテサロニケ教会の長所が、終わりの日は既に来てしまったという思い込みや(2:2)、終わりの日が近いのだからこの世の仕事をしなくてよいという誤った考え(3:11)にもつながったのではないか、ということです。そして、そのような問題に対する配慮として、パウロは第二の手紙で様々な警告や勧告を記しているということです。テサロニケ教会の信徒たちの長所は、一つ間違えば短所にもなりうるものでした。しかし、パウロは忍耐強く配慮し指導をしています。
この世的な交わりにおいては、相手の長所に目を奪われて、長所がまた短所にもつながるという事実を見失いがちです。そうすると、お互いを高く評価しあって仲良くしていた者同士が、いつの間にか相手を非難するような関係になる恐れがあります。キリストを中心としたクリスチャン同士の交わりにおいては、そうならないように気をつけましょう。むしろ、長所と短所の両方を冷静に見極めながら、互いに継続的な配慮をすることができるようでありたいものです。
テサロニケの信徒への第二の手紙の冒頭のパウロの挨拶の言葉は、第一の手紙の挨拶の言葉と大体同じです。そこに、テサロニケ教会に対するパウロの変わらぬ愛と配慮の姿勢を見出すことができます。そして、その変わらぬ愛と配慮の土台は、挨拶の言葉に記されているように、キリストによってもたらされた恵みと平和なのです。私たちも、キリストによってもたらされた恵みと平和に基づいた交わりを打ち立てて、互いに忍耐強く継続的な配慮をしていきたいと願います。(1月22日の説教より)