聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5:14-15

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。   (一テサロニケ5:14)

 「兄弟たち」という最初の呼びかけにありますように、パウロはテサロニケ教会の信徒全体に向かって、これらの勧めの言葉を語っています。確かに、「あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々」(12節)とも記されていますので、信徒を戒めるのは教会の指導者のつとめだと言えるでしょう。しかし、指導者だけが信徒を戒めていればそれでよいかと言えば、そうではありません。信徒全体がそのような姿勢を持つようにと教えられているのです。その後の「気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい」という勧めも、同じように信徒全体に与えられています。こうして考えてみますと、初代教会においては特定の指導者だけでなく、信徒全体が必要に応じて互いに戒め配慮する働きを担っていた、ということが分かります。そして、そのような雰囲気の中でこそ、指導者が戒めたり配慮したりするつとめも支えられていた、と考えるべきでしょう。

 「怠けている者たち」というのは、テサロニケ教会の中にいた、生計を立てるためのこの世のつとめを怠けている人々のことだと推測されます。テサロニケ教会の中には、世の終わりの日が近いのだから、この世の仕事はしなくてよいという誤った考え方をしている人々がいました。そこで、パウロは「わたしが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」(4:11)と勧告しています。ですから、「怠けている者たちを戒めなさい」という言葉の背後には、このような特有の事情がありました。怠けている者たちを教会全体で甘やかすのではなく、むしろ戒めて正していくようにとパウロは命じているのです。終末を待ち望むことによって、この世のつとめに対して無関心になってはならない、むしろ、キリストを証しするよい生活をするために、この世で果たすべき分を勤勉に果たしなさい、ということです。 (12月11日の説教より)