イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。          (一テサロニケ4:14)

 クリスチャンも死の力には勝てないのではないか、というテサロニケの信徒たちの不安や疑問に対して、パウロは、キリストを信じて死んだ人を終わりの日に神様が死者の世界から復活させてくださる、と簡潔明瞭に答えました。その根拠は「イエスが死んで復活された」ということです。すなわち、「イエスが死んで復活された」ことの必然的な帰結として、「神は同じようにイエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出して」くださるということです。

 「イエスを信じて眠りについた人たち」という表現は、ギリシア語原典ではトゥース・コイメーセンタス・ディア・トゥー・イエスーと記されており、ディアという前置詞を直訳すれば、「イエスを通して眠りについた人たち」ということになります。これが、イエス・キリストを信じて死んだ人たちという意味であることは分かるのですが、「イエスを通して」眠りにつくというのは、一体どのようなニュアンスなのだろうか、と考えさせられます。キリストは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られました(ルカ23:46)。初代教会の殉教者ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(使徒7:59)と祈って死んでいきました。ステファノは天におられるイエス・キリストを信仰の目によって見上げて、このように祈ったのでした。すなわち、自分の霊魂を天におられる主イエスにゆだねる信仰をもって死んでいったのです。

 このような例を考えますと、「イエスを通して眠りについた人たち」というのは、天におられる主イエスに自分の霊魂をゆだねて死んだ人だということが分かります。そして、そのような人は、死んだ後も霊魂が主イエスと結ばれておりますから、最終的には主イエスと同じ扱いを受けるのです。すなわち、終わりの日にキリストと同じような栄光の体に復活させられるということです。(10月16日の説教より)