説教「権威あるキリスト」

ルカによる福音書20:1-8

 権威を問われたキリスト
エルサレムの都に入城し、神殿の境内で商売していた人々を追い出したキリストは、神殿の境内で神の国の福音を教え始められました。これに対して、キリストの活動に敵意を抱いていた祭司長、律法学者たち、長老たちなどのユダヤ人の指導者たちが、挑戦の言葉を投げかけてきました。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」(2節)この挑戦的な言葉には、キリストの権威を否定しようとする意図が表れています。祭司長や律法学者たちや長老たちには、ユダヤ人の長い伝統の中で受け継がれてきた権威をもっているのは自分たちだという意識がありました。祭司長、律法学者、長老は、最高法院というユダヤ人にとって最も権威ある機関を構成していた、三つの主なグループでありました。そして、彼らの職務は、旧約聖書の中で律法と呼ばれる創世記から申命記までの書物に由来するたいへん権威あるものでありました。彼らの目から見るならば、イエス・キリストはガリラヤの大工ヨセフの子にすぎませんでした。 これまでもキリストは、律法の解釈をめぐってユダヤ人の指導者たちと対立していました。すなわち、指導者たちは律法を日常生活にあてはめるために、律法にたいへん細かい規則をつけ加えて(たとえば安息日にしてはならないことの一覧表など)、それを人々に守るようにと教えていました。それに対して、キリストは律法を神と隣人への愛という大原則に照らして解釈し直しました。そして、安息日に病の人をいやし、徴税人や娼婦に罪の赦しを告げました。そのようなキリストの教えは、ユダヤ人の指導者たちにとっては自分たちがつくり上げてきた律法の解釈の秩序を破壊するものでありました。ユダヤ人の指導者たちは、彼らにとっての危険人物であるイエス・キリストを人々の間から排除しようと機会をねらっていました。そこで、イエス・キリストが神殿の境内で教えをしている時をとらえて、彼が教えをする権威の根拠がどこにあるのかということを問うたのであります。ですから、この問いは始めからイエス・キリストには権威がないということを明らかにしようとする悪意ある問いかけでありました。 洗礼者ヨハネの権威は?
この悪意ある問いに対するキリストの答えは、まことに的を射たものでありました。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」(3-4節)キリストは御自身の先駆けとして人々に悔い改めの洗礼を宣べ伝えた洗礼者ヨハネのことを引き合いに出されました。洗礼者ヨハネは人々に悔い改めを求める説教をし、悔い改めた人々に罪の赦しを受けさせる洗礼を授けました。この洗礼者ヨハネもまた権威をもって神の国のことを教えた人でありましたが、彼の権威の根拠はどこにあったと思うか、とキリストは問いかけられたのであります。「天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」とは、彼の権威は神に由来するもので、神から遣わされた預言者であったのか、それとも彼の権威は単に人々によって支持された結果であって、民衆の人気を集めた宗教家にすぎなかったのか、ということであります。 洗礼者ヨハネはイエス・キリストの先駆けとして神から遣わされた人でありましたから、その権威を受け入れるか否かということは、イエス・キリストの権威を受け入れるか否かという問題に直結していました。ですから、ユダヤ人の指導者たちはこの問いに対して慎重に答えねばなりませんでした。なぜなら、洗礼者ヨハネの権威を認めてしまうと、イエス・キリストの権威も認めたことになり、イエス・キリストの権威を否定しようとする計画がくずれてしまうからです。そこで、指導者たちは集まって相談をしました。おそらく、彼らの周りには、キリストの教えを聞いていた人々が遠巻きにして、この論争のゆくえをかたずを飲んで見守っていたことでしょう。指導者たちの相談の内容は次のようなものでした。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」(5-6節)この相談の言葉を聞いて驚きますことは、彼らが旧約聖書の専門家でありながら、洗礼者ヨハネの活動が旧約聖書の預言の成就であったかどうかを検討しようとする誠実さのかけらも見出せないということであります。

神の御言葉に聴く
旧約聖書の最後の書物であるマラキ書の最後には、メシアの先駆けとなるべき預言者の到来が次のように預言されています。「見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。」(マラキ3:23-24)この預言の御言葉は、メシアによる救いと審きの日が来る前に、神は人々にその日の備えをさせるためにあらかじめ一人の預言者を遣わすということを告げています。もしユダヤ人の指導者たちが、洗礼者ヨハネの権威は神に由来するものであるか否かを議論するのであれば、まずこの御言葉の解釈を論じるべきでありました。ところが、彼らの議論の中心は、神の御言葉にはどのように記されているかではなくて、もし洗礼者ヨハネの権威を認めたならば民衆はどう思うか、もし認めなかったならば民衆はどう思うか、という民衆の側の反応でありました。神の御心はどうであるかということではなく、人がどう思うかという人間の評判の方が彼らにとっては重要であったのです。このことは、キリストの権威を否定しようとしている指導者たち自身が、実は神の権威の上にしっかりと立っていたのではなく、民衆の顔色をうかがいながら権威ある者のふりをしていたにすぎなかったということを表しています。 このような指導者たちは、人々の評判を気にするあまり袋小路に入り込んでしまいました。つまり、彼らは洗礼者ヨハネの権威を神からのものとして受け入れても、人からのものとして否定しても、どちらにせよ民衆の非難と反発を招くということに気づいたからであります。洗礼者ヨハネの権威を肯定すれば、かつて洗礼者ヨハネが活動していたころ彼を受け入れなかったことの責任を追求されます。反対に、洗礼者ヨハネの権威を否定すれば、洗礼者ヨハネを殉教者として尊敬している民衆の怒りを買うことになります。思い悩んだ末に指導者たちは「どこからか、分からない」(7節)と答えざるをえませんでした。自分たちにとって不利な証拠となる証言を控えたのでした。すると、キリストは賢明にも「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」(8節)とお答えになり、指導者たちの問いに対して答えることをお控えになりました。指導者たちは洗礼者ヨハネの権威を否定できない以上キリストの権威も否定できないのでありますから、あえてキリストが御自身の権威を神からものと主張する必要はなかったのであります。  (2014年9月14日の説教より)