エフェソの信徒への手紙5:3-5
あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。(エフェソ5:3-4)
この教えは、ここだけを読むとクリスチャンが恋愛や性に関することを一切話してはならないとか、「〜が欲しい」という願いを口にしてはならないとかいうような、禁欲的な命令である印象を受けるかもしれません。しかし、旧約聖書の教えは物質的な豊かさや性的な交わりを肯定しています。ただし、貧しい人をしいたげて物質的な豊かさを追求したり、結婚の秩序を超えて性的な欲望を追求したりすることは禁じているのです。この箇所の「みだらなことやいろいろの汚れたこと」「卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談」とは、結婚の秩序を超えて性的な欲望を追求するような会話や言葉のことでしょう。つまり、十戒の「姦淫してはならない」という戒めに反する行いへと誘うような会話や言葉のことです。また、「貪欲なこと」とはほかの人のものを欲しがって自分のものにしようとすることでしょう。つまり、十戒の「隣人のものを欲してはならない」という戒めに反するような言葉のことです。(中略)
そのような人間を罪へと誘う言葉を口にする代わりに、パウロは信徒たちに「それよりも、感謝を表しなさい」と勧めています。これは、神様からさまざまなものを与えられていることについて、「感謝を表しなさい」ということでしょう。パウロは、テサロニケの信徒への手紙一の5章16節から18節では「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と勧めています。「『どんなことにも感謝しなさい』と言われても、苦しいことや悲しいことがあったときにそれを感謝するなんて無理です!」と言いたい方もいらっしゃるでしょう。しかし、心から神様に信頼している人は、苦しいことや悲しいことがあったときにも、共にいてくださるキリストの恵みを味わい、自分は天国と終わりの日の救いに向けて前進していることを経験することができます。ローマの信徒への手紙8章28節にあるように「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」ことを知っているから、どんなことにも感謝することができるのです。そして、神様との関係でどんなことにも感謝して絶えず祈っている人は、人間同士の関係でも感謝を表す対話をすることができるようになります。神様に対する感謝を共有して、神様がお互いの存在を通して働いてくださることを感謝し、お互いに感謝し合う会話をすることができるようになります。そのような会話こそ、キリストによって救われた人にふさわしい会話でしょう。(11月16日の説教より)