ルカによる福音書12:8-12
言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。 (ルカ12:8-9)
ここで言われていることは極めて単純な内容です。この世の生活の中でキリストを信じることを告白する人は、終わりの日の最後の審判の時にキリストからもクリスチャンとして認められるが、この世の生活の中でキリストを信じることを否定する人は、最後の審判の時にキリストからもクリスチャンであることを認められないということです。8節の後半にある「人の子」という表現は、最後の審判において人々を裁くキリストご自身のことを指しています。また、「仲間であると言い表す」という日本語に翻訳されているのは、原典のギリシャ語でホモロゲオーというギリシャ語の動詞です。ホモロゲオーとは、告白するという意味であり、この動詞の後にギリシア語の前置詞のエンという言葉がつくと「〜を認める」とか「〜への忠誠を言い表す」という意味になります。私たちが今用いている新共同訳聖書は、これを「仲間であると言い表す」というわかりやすい言葉に翻訳しています。
日本語で「告白する」と言いますと、恋愛の感情などを密かに告白するというニュアンスがあるのではないでしょうか。しかし、ギリシャ語でホモロゲオーと言いますと、公に宣言して言い表すという意味になります。そこで、私たちが用いている新共同訳聖書では、この言葉はしばしば「公に言い表す」と翻訳されています。この言葉は、先ほどあげましたローマの信徒への手紙の10章10節で「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」という箇所でも用いられています。そして、それ以外でも聖書の中で要となるような大切な箇所で用いられています。たとえば、ヨハネの手紙一の4章2節と3節には次のように記されています。「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。」この箇所で教えられているのは、キリストが肉体をもって歴史的に実在した方であることを公に言い表すようにさせるのが、神から出た霊すなわち聖霊であるということです。また、同じヨハネの手紙一の4章15節には「イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります」とあります。このように、信仰を公に言い表すということは、してもしなくてもよいことではなく、キリストを信じることに伴って必ずなされるべきことなのです。 (8月24日の説教より)