ルカによる福音書11:24-26

「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」    (ルカ11:24-26)

 

このたとえ話は、聖書の話と同じように文字どおり悪霊に取りつかれている人には当然当てはまります。しかし、私たち自身や私たちの周囲の人々のことを考えますと、文字どおり悪霊に取りつかれているのではないけれども、悪魔の誘惑によって善くない生き方をしている人々がいます。そのような人々にも当てはまるのではないでしょうか?たとえば、偶像を礼拝したり、人を憎んだり、淫らな行いをしたり、不正な取引をしたりするような生き方です。そのような生き方をしていた人が、自分のしていることが悪いことだと気づいたとしましょう。そして、神様に自分の罪を告白して罪の赦しをいただいたとしましょう。しかし、罪の赦しをいただくだけでは十分ではないのです。神様の聖霊の導きをいただいて、清められて善い生き方を目指していくことが大切なのです。

パウロは、エフェソの信徒への手紙の3章16節と17節で「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」という祈りを記しています。私たちの救いは、キリストが十字架の上で死んで私たちの罪を償い、永遠の命の体に復活して私たちに永遠の命を保証してくださったことによって成し遂げられました。そして、その成し遂げられた救いが現実に私たちのものとなるのは、聖霊のお働きによります。つまり、父なる神様が私たちに聖霊を与えてくださって、「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださる」ことによって、私たちの救いが現実のものになるのです。「あなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とは、父なる神様の霊でありキリストの霊でもある聖霊が、実際に私たちの心の内に住んでくださるということです。本日の聖書の箇所のたとえで言えば、悪霊が出て行った家が空き家にならず、そこに聖霊が住んでくださっているということです。私たちは、キリストの霊が自分の心の内に住んでくださることを願って毎日の生活をしているでしょうか?(7月6日の説教より)