ルカによる福音書11:14-23
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。 (ルカ11:23)
キリストは「わたしに味方しない者」という言葉を「わたしと一緒に集めない者」と言い換えておられます。これは、羊飼いが羊の群れを導くために、散り散りになりそうな羊を集めることを念頭に置いた言い方です。したがって、教会の働きに言葉をこの御言葉を当てはめますと、教会がキリストの救いを人々に宣べ伝えて人々を集める伝道の奉仕と、信じた人々を聖書の御言葉によって養い散り散りにならないようにする牧会の奉仕であることがわかります。つまり伝道と牧会という奉仕は、キリストの味方となってキリストと共に戦うことであるということです。
悪魔は、神様を信じる者たちを散り散りにして、それぞれの欲望のままに歩ませ、罪の力によって滅びに至らせるようとします。この悪魔の力が恐るべきものであることは、聖書が繰り返し教えているところです。たとえば、使徒ペトロはペトロの手紙一の5章8節と9節で次のように警告しています。「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」悪魔は、神様を信じる人々に、神様を信じない不信仰な思いやこの世の富や繁栄や権力が神様より大事だという思いを抱かせて、滅びの道へ進ませようと、虎視眈々と狙っています。ですから、キリストは主の祈りで「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」と祈ることを教えてくださいました。神様の力によって悪魔に抵抗することを教えてくださったのです。
宗教改革者のカルヴァンも、この祈りについての解説の中で「神の霊の力こそサタンとの決戦を戦い抜く我が力である」と記しています。ここから、クリスチャンの戦いの本質は、悪魔との霊的な戦い、すなわち、祈りの戦いであることがわかります。宗教改革者のルターも、悪魔の働きが現実にあることを深く理解していた人でした。ルターは「悪魔は夜眠らない。悪魔は宴会をしない」と言ったそうです。つまり、人間が眠り、あるいは宴会を楽しんでいる最中にも、悪魔は付け入る隙を狙っていると言うのです。ですから、私たちは絶えず神様の助けと聖霊の導きを祈って、悪魔の攻撃に備えるようにいたしましょう。悪魔はいつも教会を破壊し、クリスチャンは堕落させ、イエス・キリストの名を辱めるために全力を尽くしています。これに対抗するには、祈りによって神様の聖霊の力を求める以外にはありません。 絶えずに祈って、神様の助けと聖霊の導きをいただいて、悪魔に打ち勝つ生活をしてまいりましょう。
(6月29日の説教より)