エフェソの信徒への手紙1:7-10
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。 (エフェソ1:10)
これは、多くの人々にとって謎めいた言葉に聞こえることでしょう。「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」とは、いったいどういうことでしょうか?まず、その前に記されている「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され」について考えてみましょう。この場合「時が満ちる」とは、終わりの日が来ることを示しています。そして、「救いの業が完成され」とは、キリストが再び来られて最後の審判を行うことによって、神様の救いのわざが完成されることを表しています。つまり、これは使徒信条で告白されているように、終わりの日にキリストが再びこの世に来られて、「生きている者と死んでいる者とを審かれ」、その審きによってキリストを信じて従った人々の「からだの復活」と「永遠のいのち」が完成することを表しているのです。
そうすると、「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」とは、キリストが最後の審判を行われることによって、すべてのものがキリストのご支配に服従するようになるということです。キリストは十字架で死んだ後、復活して天に昇られました。そして、今も天において全宇宙を治めておられます。しかし、この世界には未だに神様に逆らう勢力が残っており、時には大きな力を及ぼすこともあります。私たちが世界の不条理ということを感じるのは、そのような神様に逆らう勢力が世界に残っていることにもよるのでしょう。しかし、キリストが最後の審判を行われるときには、神様に逆らう勢力は完全に滅ぼされます。テサロニケの信徒への手紙二の1章6節と7節で、パウロは次のように記しています。「神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。」
このように、最後の審判ということが聖書で教えられ、使徒信条にも告白されています。ですから、「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」とは、あらゆるものが救われますというおめでたい言葉ではありません。キリストを信じてキリストに従った者には「からだの復活」と「永遠のいのち」という報いが与えられ、キリストに逆らった者には永遠の滅びという報いが与えられることによって、「頭であるキリストのもとに一つにまとめられる」ということなのです。 (11月17日の説教より)