交わりの中で生きる(2022年4月3日) 2022年3月30日 preached by 三好 明 and published by 志木北伝道所 コリントの信徒への手紙二8:22-24 だから、あなたがたの愛の証しと、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りの証しとを、諸教会の前で彼らに見せてください。 (二コリント8:24) https://shikikita-church.jp/wp-content/uploads/2022/03/20220403srmn-1.mp3 パウロは、コリント教会の信徒たちに「愛の証し」と「誇りの証し」を「諸教会の前で彼らに見せてください」と述べています。「彼ら」とは、言うまでもなく、コリント教会に派遣されるテトスと二人の信徒のことです。そして、「見せてください」というのは、具体的に言えば、テトスと二人の信徒を温かく迎えてもてなし、彼らの勧めることに従い、エルサレム教会の貧しい信徒たちのための献金をやり遂げてください、ということです。それでは、「諸教会の前で」というのは、どういうことでしょうか?それは、あなたがたコリント教会の信徒たちがテトスと二人の信徒に対してすることを「諸教会」も見ているのですから「諸教会の前で」するつもりで彼らに対応してください、ということです。「諸教会の前で」とは、第一に、二人の信徒が代表しているマケドニアの諸教会のことでしょう。そして、第二に、諸教会のルーツであり、このたびの献金を届ける相手でもあるエルサレムの教会のことでしょう。また、それだけでなく、すべてのキリスト教会のことをも含んでいると解釈することができるでしょう。さらに、もっと広く考えるならば、諸教会のかしらであるイエス・キリストの前で、という意味を読み取ることもできるでしょう。 https://shikikita-church.jp/wp-content/uploads/2022/03/20220403srmn.mp3 ドイツのボンヘッファーという神学者は、『共に生きる生活』という著作の中で、クリスチャンの交わりについて次のように述べています。「訪問する者と訪問を受けた者とは、互いの孤独の中にあって、からだをもって現臨し給うキリストを認め、彼らは主に出会うかのように、畏敬と謙遜と喜びの心をもって、互いに出会う。」(森野善右衛門訳)これは言い換えれば、キリストの体である教会を代表して派遣された人と、顔と顔を合わせて出会うことができるのは、キリストが共にいてくださることのしるしである、ということになります。ですから、コリント教会の信徒たちは、テトスと二人の信徒と顔を合わせて会うことによって、諸教会の信徒たちと会い、諸教会のかしらであるキリストと会う経験をすることができるということです。そして、それは、コリントという町の世俗的な習慣に染まりがちな信徒たちにとって、なくてはならない大切な経験でした。テトスと二人の信徒と顔を合わせて会うことによって、コリント教会の信徒たちは、キリストが自分たちに何を求めておられるかということを知ることができるからです。現代でも、クリスチャン一人一人、また個々の教会一つ一つは、実際に顔と顔を合わせて互いに会うことによって、キリストが自分たちに何を求めておられるかということを知ることができます。自己流の信仰生活のあり方から解き放たれて、すべての時代とすべての場所に広がっているキリスト教会の一員として、信仰をもって生きるとはどういうことかを示されるのです。(4月3日の説教より)