コリントの信徒への手紙二5:20-21

ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。             (二コリント5:20)

「神がわたしたちを通して勧めておられる」とはどういうことでしょうか?「わたしたち」というのは、まず、パウロとその同労者たちのことを言っているのでしょう。そうすると、コリント教会の信徒たちにキリストの福音を伝えているのはパウロとその同労者たちであっても、実際は神様ご自身が、パウロとその同労者たちを通して語っておられるということになります。これはパウロのほかの手紙でも述べられていることです。たとえば、テサロニケの信徒への手紙一の2章13節で、パウロは「わたしたちは絶えず神に感謝しています」と言って、その理由を「わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです」と説明しています。人が神様からゆだねられた言葉を語るときに、その言葉は単なる「人の言葉」ではなく「神の言葉」なのです。そして、このコリントの信徒への手紙二では、「神の言葉」とは、19節にあるように「和解の言葉」です。

パウロとその同労者は、神様にゆだねられた「和解の言葉」を語るのですから、「神の使者」と言ってもよいでしょう。しかし、パウロは「キリストの使者」と言います。なぜなら、人間が父なる神様と和解することができるように、十字架上で贖罪のわざを成し遂げ、復活して天に昇られたキリストが、天の王座からパウロとその同労者を遣わして「神と和解させていただきなさい」というメッセージを語らせておられるからです。「使者の務めを果たしています」と訳されているプレスベウオーというギリシア語は、「大使の務めを果たす」という意味の言葉です。ですから、「使者」という言葉を単なるお使いという軽い意味にとってはなりません。天地万物の王であるキリストから権威を与えられて「大使」として派遣された人のことです。「大使」に逆らうことは、「大使」を派遣したキリストに逆らうことになります。パウロとその同労者は、キリストの「大使」として派遣され、「神と和解させていただきなさい」というメッセージを語っているのです。   (10月17日の説教より)