ローマの信徒への手紙12:17-21
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
(ローマ12:20)
これはカギかっこの中に入っていることからわかりますように、旧約聖書からの引用です。すなわち、旧約聖書の箴言25章21節と22節からの引用です。この箇所についての解釈はいくつか考えられますが、その一つは、悪を行う者に善を返すことによって、相手の心にいわば良心の呵責を与えて相手を改心に導くことができるというものです(あえて「回心」ではなく「改心」といたします)。この解釈は、先ほどお話しした映画『スター・ウォーズ』でルーク・スカイウォーカーがダース・ベイダーに善の心を取り戻させた話とよく似ています。つまり、人間には元々善の心があるのだから、悪に対しても善を返せばあたかも燃える炭火のように良心の呵責を与えて、相手を改心させることができるというメッセージです。
しかし、その解釈ははたして正しいのでしょうか?本日の箇所の20節の前の19節には次のように記されています。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と主は言われる』と書いてあります」とあります。これもカギかっこの中に入っていることから、旧約聖書からの引用であることがわかります。すなわち、旧約聖書の申命記32章35節からの引用です。これは神様がイスラエルの人々に対して、イスラエルを苦しめる敵に対する復讐は「わたしのすること」つまり、神様御自身がなさることだと教えている箇所です。その箇所を引用することによって、パウロは「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」と、ローマ教会の信徒たちに教えているのです。
そうすると、20節の「燃える炭火を彼の頭に積む」というのは、「自分で復讐せず、神の怒りに任せる」ということを言い換えているのだとわかります。つまり、「燃える炭火」というのは、人間の心の中の良心の呵責というようなものではなく、むしろすべてのことをご存知で公平に裁かれる神様の裁きのことであるということがわかるのです。ですから、聖書のメッセージは大切なところで映画『スター・ウォーズ』のメッセージとは違っています。映画『スター・ウォーズ』のメッセージは、人が自分の善の心の力で悪い心をもった人を改心させることができるというメッセージです。しかし、聖書のメッセージは、悪い心をもった人をどうするかは自分ではなく神様のお決めになることだから、神様にまかせなさいというメッセージなのです。 (7月25日の説教より)