コリントの信徒への手紙二4:1-4

かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。

                  (二コリント4:2)

これは、パウロのようなキリストに遣わされた使徒を装いながら、実際は経済的な利益を得るために神の言葉を水で薄めるようにして語っていた伝道者たちと、自分たちとは違うということを、パウロが言おうとしているのです。これまで何度もお話ししましたように、パウロはコリントの教会から報酬を受けずに伝道をしました。ところが、それにもかかわらずパウロはコリント教会の信徒たちから感謝されませんでした。それは、コリント教会の信徒たちがパウロのことを報酬を受けることのできない二流の伝道者であるとみなしたからでした。また、パウロがエルサレム教会への献金を集めたことを、この手紙の12章16節にありますように「悪賢く」「だまし取った」と受け止めたからでした。しかし、パウロは「卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず」と断言しています。

そして、ひたすらキリストの福音を宣べ伝えることを「神の言葉を曲げず、真理を明らかにする」と言います。手っ取り早く人の心に訴える道徳的な教えではなく、キリストが私たちの罪のために十字架について死んで三日目に復活したというキリストの福音を、「最も大切なこと」(一コリント15:3)として宣べ伝えたのでした。さらに、パウロは「神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます」と語ります。キリストの福音を水で薄めてモーセの律法を語った伝道者たちは、他の教会の信徒たちの推薦状をもってコリントの教会にやって来ました。自分たちの語ることをコリント教会の信徒たちに受け入れさせるためでした。しかし、パウロはだれかに推薦してもらわなくても、神様が聴いていてくださるのだから、自分の語ることを人々がどのように受け止めるかは、聴く人々の良心にゆだねると言うのです。          (5月2日の説教より)