コリントの信徒への手紙二3:16-18

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
(二コリント3:18)

地上の人生の長い道のりを通して、私たちの人格は「主と同じ姿に造りかえられていきます。」そして、一人の人の地上の人生よりもはるかに長い、救いの歴史の道のりを通して、ついにキリストを信じた人の救いは、永遠の命の体の復活によって完成するのです。パウロは、ローマの信徒への手紙の8章29節と30節で次のように記しています。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」「栄光をお与えになった」と過去形のようになっているのは、すでに栄光を与えて終わったということではありません。聖書では、将来に起こる確かな出来事を、神様がすでに決定しておられるという意味で完了形や過去形で表現するのです。旧約聖書の預言者たちは将来に起こる確かな出来事をヘブライ語の完了形で語りました。パウロはギリシア語のアオリストという過去の形を使って、キリストを信じるように選ばれた人たちは終りの日にキリストと同じような栄光を与えられるということが、定められた確かなことであると語っているのです。
このような「主と同じ姿に造りかえられて」いくことは、聖霊の働きによってなされます。私たちが自分の力でキリストと同じようになろうとするのとは違います。ですから、パウロは18節の終わりに「これは主の霊の働きによることです」と付け加えているのです。旧約聖書の創世記1章27節に「神は御自分にかたどって人を創造された」とありますように、人間の人格はもともと神の形に創造されたものでした。神様と対話して神様の御心を理解し、神様に喜んで従うように造られていたのです。ところが、悪魔の誘惑に負けて神様との正しい交わりを失ってしまったために、人間の人格は、本来の形から自己中心的なものへとゆがめられてしまいました。そのような自己中人的な人格が本来の形になるためには、神の形を完全に保っているキリストを信じてキリストと結ばれることが必要なのです。そこで、神様は救われる人々をあらかじめ定めて、聖霊の働きによってキリストに似た姿にすることによって、人間としての本来の形を回復することができるようにしてくださいました。ローマの信徒への手紙の8章29節の「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」とはそういうことです。 (4月25日の説教より)