「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」 (ルカ12:56)
昔から世界の人々は、その土地独特のしかたで天気の予測をしてきました。それは、天候というものが農業の収穫に大きな影響を与え、人々の暮らしに密接なかかわりをもっていたからでありましょう。現代のニュースの中でも天気予報はなくてはならぬもので、政治や経済に関心のない人でも天気には無関心ではいられません。人間には天気の予測をする知恵があるのだから、それを神が世界の歴史の中で行われる御業に応用すべきではないか、とキリストは警告しておられるのです。
56節の「今の時」という言葉の意味については、ローマ帝国との戦争が近づいている時代状況をさしているのだ、と言う研究者もおります。しかし、単に政治的状況を見極めなさいとキリストが言っておられると理解するのでは、内容が前後の文脈と一致しません。すぐ前の49-53節においては、キリストが最後の審判を御自身の身に先取りする形で十字架につくこと、そのことを信じる人と信じない人との間に分裂が生じることが記されています。したがって、「今の時」とは、神がキリストの十字架を信じて悔い改めるように人々に促しておられる時と理解しなければなりません。すなわち、神がイエス・キリストの御業を通して、信じる者には救いを、信じない者には裁きを与えるという決定的な出来事を始めておられるのが「今の時」であるということです。私たちはまず、今がキリストによる救いの時であるということを知らねばなりません(二コリント6:2)。しかし、それだけではなくて、終わりの日の裁きが近いということも知らねばなりません(一ペトロ4:17)。「今」という時は、最後の審判を前にした救いの時なのであります。
(2月16日の説教より)