異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。 (使徒13:48)
ピシディア州のアンティオキアのユダヤ教会堂に神の言葉を聞きにきた異邦人は、48節にありますように、「これを聞いて喜び、主の言葉を賛美」しました。「そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った」のでありました。ご注意いただきたい点は、集っていた異邦人が皆、信仰に入ったというのではないことです。「永遠の命を得るように定められている人」が信仰に入ったのです。ここには、イエス・キリストを信じる人は、キリストとの交わりを与えられるようにあらかじめ定められ、選ばれている人だという真理が示されています。つまり、伝道というものは伝道者が熱心に伝道すれば誰でも信じるというようなものではなく、神が伝道者の働きを用いて、永遠の命を得るように定められ、選ばれている人々を、ふさわしい時に召し出して信仰者とするという真理であります。
ですから、伝道とは徹頭徹尾、神御自身が主導権をもって進めておられる事柄であって、伝道者には神の働きに参与し、奉仕しているにすぎないという謙遜な姿勢が求められるのであります。伝道する人は、伝道が自らの人間的な力によるものではない、ということを分きまえていなければならないという点では、謙遜でなければなりません。しかし、それと同時に、神は永遠の命を得るように定められた人々を町々、村々に散らしておられるということを信じる点においては、強い確信を持っていなければなりません。ですから、キリストは世俗的なコリントの町で伝道する使徒パウロに「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒18:9-10)と幻の中で語って、励ましてくださったのでした。
伝道によって一人の人が信仰を持つに至るということは、実は神によって「永遠の命を得るように定められている人」が神の言葉を聞いて、本来歩むべき信仰の道へと召し出されることに他ならないのであります(エフェソ1:4-5、ローマ8:30も参照)。
(11月18日の説教より)