なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
(一コリント2:2)
和歌山県の新宮教会で33年間牧会された樋口春喜牧師は、1979年3月25日の新宮教会での最後の説教で、次のように語っておられます。「私もキリストの十字架を宣教するために、新宮教会に赴任したのです。そして33年間十字架をのべ伝えてきたつもりでいますが、その伝道は成功であったか、失敗であったか、それはかの日において神が判断して下さるでしょう。十字架の宣教、それはただ口で十字架をのべておればよいのでしょうか。自分がキリストの十字架の死に合わせられないで、どうして人に十字架を説くことができるでしょうか。このことが私自身の不断の課題でありました。」この言葉によれば、樋口牧師にとっては、キリストの十字架を宣べ伝えることは、自分自身がキリストの十字架の死に合わせられ、キリストの苦難にあずかるのと一つのことでした。
コリントでキリストの十字架を宣べ伝えたパウロが、キリストの苦難にあずかりつつ伝道したことは言うまでもありません。パウロはコリント伝道の初期には、自ら天幕造りの労働をして生計を立てながら伝道をしました。やがて、マケドニアの教会からの支援により伝道に専念できるようになると、キリスト教に敵対するユダヤ人から激しい迫害を受けました。そして、コリントを離れた後は、教会内のパウロを侮辱する勢力に苦しめられました。現代の牧師やクリスチャンがパウロと全く同じ経験をするわけではありませんが、やはり労苦と迫害と侮辱に耐えながら伝道しなければならないのは事実です。キリストの十字架を証しする者は、それぞれの持ち場でキリストの苦難にあずかり、それを忍耐するのです。しかし、それはただ苦しいだけの忍耐ではありません。希望のある忍耐です。十字架の苦難にあずかりつつ、いつか私たちが終わりの日の復活にあずかる日を待ち望むのです。樋口牧師は先ほどの説教の結びのところで、「パウロは十字架以外は何も語らないと申しましたが、それは十字架を経て復活に至ることを確信していたからであります」と述べておられます。
(9月10日の説教より)