ルカによる福音書17:1-4
「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」 (ルカ17:4)
この「七回」は文字どおりの七回というよりは、何回も繰り返してという意味です。一日のうちに同じ相手に対して何回も罪を犯す人は、普通の人間の感覚で言えば、まじめに悔い改めていないことになります。もし悔い改めが罪の赦しを得るための基礎であるとするならば、一日のうちに同じ相手に何回も罪を犯すような悔い改めの仕方では、 到底赦してもらうに値しないということになるでしょう。しかし、カルヴァンも述べているように(『キリスト教綱要』3篇3章20)、悔い改めとは罪の赦しの恵みを得るために目指す目標のことです。ですから、一日のうちに同じ相手が何回も罪を犯したとしても、そのたびに自分の罪を認めて神様の愛に自分をゆだねようとしているならば、その人の魂は正しい目標を目指しているのです。ですから、その人は赦してもらうに値することになります。そして、神様の罪の赦しの恵みが私たちの間で生きたものとなるためには、まさにこのように繰り返し悔い改めるしかない人間存在の惨めさというものを、相手の人のことだけでなく自分のことでもあると自覚することが必要なのです そして、相手と自分を共に積極的に神様の憐れみにゆだねていくという姿勢が必要なのです。
神様の憐れみに相手と自分の両方をゆだねていくことの基礎は、キリストの十字架です。すなわち、キリストは、繰り返し罪を犯すこのわたくしが赦されるために十字架についてくださったのと同じように、わたくしに対して繰り返し罪を犯す相手が赦されるためにも十字架についてくださったのです。そして、わたくしに対して繰り返し罪を犯す人も、またこの私自身も、キリストを信じることによって回復されるべき「神の形」をもっているということが、私たちに忍耐をさせ、繰り返し相手を赦すようにさせるのであります(カルヴァン『キリスト教綱要』3篇7章6)。
(9月6日の説教より)