ガラテヤの信徒への手紙5:22-26
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 (ガラテヤ5:25)
多くの人々にとってキリスト教の教えの中で、最もわかりにくい教えの一つが聖霊についての教えでしょう。キリスト教の教えの簡潔な要約である使徒信条の中には「わたしは聖霊を信じます」とあります。ですから、洗礼を受けてクリスチャンとなった人の中で、聖霊の存在を否定する人はいないでしょう。しかし、聖霊の力によって生きていくことや聖霊の導きを受けて生きていくことを実際に経験して身につけていくには、長い時間がかかります。しかも、時間さえかければよいというものではありません。「霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう」とあるように、聖霊の導きに従って前進していくという継続した生活が必要なのです。具体的に言えば、まず、古い自我の業である「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴」(19-21節)などの悪徳が自分の中に残っていることを認めて、日ごとに悔い改めることが必要です。もちろん、これら全部の悪徳が自分の中にあるということではないでしょう。しかし、これらの中のあるものがしつこく自分の中に残っていることを知ることは必要なことです。とりわけ、今日の説教の最初にお話ししたように、人間の心にある「そねみ」や「ねたみ」などの嫉妬心とそれに伴う憎しみから生じる「敵意」や「争い」はほとんどの人にとって、死ぬまで残るのではないでしょうか。しかし、自分の中に残っているそれらの悪徳に気づいて日ごとに悔い改めるならば、聖霊の導きに従って前進していくことができるのです。
それでは、聖霊の導きに従って前進していくというのは、どこを目指して前進していくのでしょうか。まず、キリストを信じる人はこの世からキリストのおられる天国を目指して前進して行くのです。キリストを信じない人にとっては、地上の人生の終わりはただつらく悲しい出来事でしょう。しかし、キリストを信じる人にとっては、地上の人生の終わりはつらく悲しいだけではなく、喜ばしい天国での人生の始まりでもあるのです。しかも、それがすべてではありません。天国での人生は、終わりの日の復活によって完成します。終わりの日には、天国に召された魂にキリストと同じような永遠の命の体が与えられて復活するのです。これこそが私たちの救いの完成です。天国に召され終わりの日に復活することを目指して、聖霊の導きに従って前進していく生活こそ、キリストを信じる人の新しい人生です。そして、そのように前進して行くときに、22節と23節にあるような「愛」「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」が自分の中で形づくられていくのです。 (6月21日の説教より)