コロサイの信徒への手紙1:15-17

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。       (コロサイ1:15)

 

御子とは、いうまでもなくキリストのことです。それでは、「見えない神の姿」とはどういうことでしょうか?天におられる神様は、人間の目には見えない方です。キリストは、その目に見えない神様の存在と意思を私たち人間に示してくださいました。ヨハネによる福音書の1章18節に「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」と述べられているとおりです。「見えない神の姿」の「姿」という言葉は、新約聖書のギリシア語でエイコーンと言います。2018年に出版された聖書協会共同訳という新しい翻訳は、この箇所を「御子は、見えない神のかたちであり」と翻訳しています。新約聖書のギリシア語の辞典によれば、エイコーンとは、「ほかの何かと同じかたちをもつもの」または「基本的なかたちや特徴に関してほかの何かを表すもの」です。ですから、新しい翻訳のように、「かたち」と翻訳する方が原典のギリシア語の意味をよく表しています。

旧約聖書をよく読んでおられる方は、創世記の1章27節に「神は御自分にかたどって人を創造された」と記されているのを覚えておられることでしょう。「かたどって」は「かたちに従って」ということで、ギリシア語版の旧約聖書では本日の箇所と同じエイコーンという言葉の女性形が用いられています。天の神様は御自分の「かたちに従って」人間を造られました。これは、神様と対話して神様の御心を知り、神様の御心に従ってほかの生き物を治めることができるように、人間を造られたということです。しかし、神様が御自分の「かたちに従って」人間を造られる前に、キリストが「神のかたち」として、神様と共に存在しておられたのです。つまり、キリストこそが「神のかたち」の元祖であるということです。そのことは15節後半に「すべてのものが造られる前に生まれた方です」とあることからもわかります。私たちは、クリスマスにキリストがこの世にお生まれになったことをお祝いします。それでは、キリストはこの世にお生まれになる前は存在していらっしゃらなかったのでしょうか?そうではありません。キリストはこの世にお生まれになる前から、天の父なる神様のふところにおいて存在しておられたのです(ヨハネ福音書1:1参照)。(10月25日の説教より)