コロサイの信徒への手紙1:13-14
わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 (コロサイ1:14)
「贖い」というのは、日常生活ではあまり使わない言葉ですが、聖書ではよく使われる言葉です。先ほど引用した出エジプト記6章6節には「腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」とありました。これは、神様がエジプトのファラオと人々を裁き、イスラエルの人々を解放するということです。また、先ほど引用した詩編107編の2節と3節には「主は苦しめる者の手から彼らを贖い、国々の中から集めてくださった」とあります。これは、バビロン捕囚から主なる神様を信じる人々を解放するということです。
本日の箇所の「贖い」は、ギリシア語の原典ではアポリュトローシスという言葉で、囚われた状態からの解放を意味しています。そして、この言葉の元になった「贖う」という意味の動詞リュトロオーという言葉は、ギリシア語版の旧約聖書でも用いられています。先ほど引用した出エジプト記6章6節や詩編107編の2節で「贖う」というときに用いられているのは、この言葉です。この言葉は、もともとは代価を払って自由にするという意味です。さかのぼれば、この言葉は、旧約聖書で奴隷の身分の人を、代価を払って自由にするときに用いられました(レビ25:47-49)。
このように、囚われた状態からの解放を意味する「贖い」という言葉が、本日の箇所の13節では「贖い、すなわち罪の赦し」というように、「罪の赦し」という言葉に置き換えられています。キリストの十字架と復活を信じる人は「贖い、すなわち罪の赦し」を受けることができます。そのことを、パウロはローマの信徒への手紙の3章23節と24節でさらに詳しく次のように述べています。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」キリストが私たちの代わりに十字架上で死んで復活してくださったことによって、そのことを信じる私たちは罪に囚われた状態から解放され、神様に義つまり正しいと認められ、罪の赦しを受けることができるようになりました。 (10月11日の説教より)