エフェソの信徒への手紙6:10-12

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。           (エフェソ6:12)

 

「血肉」というのは、血や肉をもった人間のことです。ですから、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく」とは、クリスチャンの戦いは人間を相手にするものではないということです。そして、パウロは11節で言及した悪魔のことを「支配と権威」「暗闇の世界の支配者」「天にいる悪の諸霊」というようなさまざまな言い方で言い換えています。これらの言い方を聞くと、疑問をもたれる方がおられるかもしれません。つまり、天におられるのは父なる神様と、復活して天に昇られたキリストと、キリストを信じで天に召された人々だけではないのか?悪魔も天にいるというのはおかしいのではないか?という疑問です。

旧約聖書のヨブ記には、サタンという悪魔が出てきます。そして、悪魔は天使たちと共に主なる神様が召集した集いに参加して、発言をします。(中略)このヨブ記の記述からわかることは、天においても悪魔は一定の居場所をもっていて、地上の人間を試みようとさまざまな策略を練っているということです。しかし、ヨブ記では、最終的に悪魔の試みは失敗し、ヨブは神様を信じる信仰を深くされて大きな祝福を受けることになります。

天にも悪魔の居場所があるという問題を考える時に、このエフェソの信徒への手紙の1章20節と21節に次のように書かれていることを心に留めなければなりません。「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」エフェソやその周辺の人々はギリシア神話の女神アルテミスなどの神々の霊の支配を信じていました。そして、この世だけでなく「あの世」つまり死後の世界も神々の霊によって支配されていると信じ込んでいました。それに対して、パウロは復活して天に昇られたキリストは、それらの神々の霊よりも上にあって支配しておられるのだと教えました。そして、この1章20節と21節を、本日の箇所の12節と合わせて読むと、キリストは「天にいる悪の諸霊」である悪魔をも支配しておられるということがわかります。したがって、キリストの力によって強くなるならば、私たちは日々の歩みの中で直面するさまざまな悪魔の誘惑に打ち勝つことができます。さらに、悪魔自身は、終わりの日におけるキリストの最後の審判において、完全に滅ぼされるのです。

(5月3日の説教より)