私は18歳のときに人生の導きを求めて聖書を読んでおりました。そして一つの聖書の言葉に出会いました。「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな(ローマ人への手紙7:24-25)。」そのころ私の人生は、外面から見るならば何の問題もないように見えました。しかし、魂においては深刻な行き詰まりを覚えておりました。その私の心に、その聖書の言葉は深く浸透しました。
その後、教会に行って洗礼を受け、社会人となり、やがて牧師になる志を立てて仕事を辞め、神学を学び、牧師となりました。そして、聖書を読めば読むほど、聖書の与えてくれる平安と知恵がなんと豊かなことかと驚きを新たにしております。聖書には、人間の現実が余すところなく記されています。それはただ、清らかな物語だけではなく、憎悪、欲望、殺戮(さつりく)、破壊などの人間の暗い面をも隠すことなく含んでいます。ところが聖書には、そのように醜い人間の現実を、神がいかに裁き、赦し(ゆるし)、救いへと導くかということが記されているのです。そして、わたしたち一人一人の人生も、世界の歴史も、宇宙の運命も、神の愛の支配の下にあるということを証言しているのです。
「花の詩画集」で有名な星野富広さんが、まだ絵も詩もかけず、首から下が麻痺した状態で入院していたときのことです。聖書の「ローマ人の手紙」の中の「そればかりではなく患難さえもよろこんでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・・」というところを読んで次のように思ったということです。「わたしのうす暗い明日に、かすかな光がさし込んでくるような気がした。信じられなくも信じたいと思った。今のこの苦しみは、苦しみだけに終わることなく、豊かな人間性や希望につながっているというのである。わたしにはこの言葉自体がすでに希望だった。」事実、その後に星野さんは口で絵筆とペンをくわえて、多くの人々に希望と励ましを与える絵や詩を造る人となりました。
聖書の中には、あなたを真の希望へと導くメッセージがあります。お気軽にお越しくださり、聖書を手にとって、ご一緒に聖書の言葉に耳を傾けてごらんになりませんか。私どもの教会は、お一人お一人の自由と主体性を重んじます。強引な勧誘などは一切いたしません。このページをご覧くださった皆様の上に、神様の導きが豊かにありますように。
公開日:2016-08-31
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