ローマの信徒への手紙8:28-30

神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。                 (ローマ8:30)

 

「召し出し」とは、キリストを信じる信仰の道へと呼び出すことです。キリストを信じる主体的な信仰をもって、洗礼を受けたり信仰告白をしたりする時がこれに当たります。「義とし」は、キリストを信じる信仰によって神様がその人を正しいと認めてくださることです。これを義認と言います。そして、信仰によって義とされた人は、聖霊の働きによって清められていきます。これを聖化と言います。このような救いの順序は、私たちの日本キリスト教会信仰の告白で「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、功績なしに罪を赦され、神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます」と述べられています。さらに、神様からキリストを信じる道へと召し出された人が、終わりの日に永遠の命の体を与えられることを、パウロは「義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」と述べています。これは、終わりの日に起こる将来の出来事ですが、「栄光をお与えになったのです」と、すでに起こった出来事のように述べられています。 これは、神様がクリスチャンのために救いのご計画をもっておられて、その救いを実行されるプロセスもすでに決定されているということを意味しているのでしょう。

アメイジング・グレイスという讃美歌には、この讃美歌の作詞をしたジョン・ニュートンの生涯において、神様がいかに救いのご計画を進めてくださったかということが歌われています。1節の「くすしきみ恵み われを救い、まよいしこの身も たちかえりぬ」は、彼が回心してキリストを信じるようになった召し出しの経験を歌ったのでしょう。2節の「おそれを信仰に 変えたまいし わが主のみ恵み とうときかな」は、キリストを信じることによって神様に義と認められたことを歌ったのでしょう。3節の「思えば遇ぎにし すべての日々、苦しみ悩みも またみ恵み」には、万事を益にしてくださる神様の導きを歌ったのでしょう。4節の「わが主の み誓い 永遠(とわ)にかたし、主こそはわが盾、つきぬ望み」は、彼がこの世で受けた確かな導きを歌い、5節の「この身はおとろえ、世を去るとき、よろこびあふるる み国に生きん」は、この世の人生が終わったのちに与えられる天国の平安と終わりの日の復活を歌ったものでしょう。私たちの人生も、この歌のように、キリストを信じる信仰を与えられ、神様によって義とされ導かれ、復活の永遠の命に至る人生でありたいと願います。

(4月12日の説教より)