エフェソの信徒への手紙5:29-33

「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。  (エフェソ5:31-32)

 

旧約聖書をよく読んでおられる方は、「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」というのが、旧約聖書の最初のアダムとエバの話の中で記されている御言葉であるということに気づかれることでしょう。創世記の2章24節をご覧いただくと、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という御言葉が記されていることがわかります。旧約聖書のヘブライ語の原典を文字どおりに翻訳すると、「一体となる」は「一つの肉となる」です。ギリシア語訳の旧約聖書でも、同じように「一つの肉となる」です。この御言葉は、旧約聖書の文脈においては、男女が結婚して「一つの肉となる」ということを述べています。「一つの肉となる」という表現は、夫婦が子どもを授かるための性的な交わりをすることを表しています。しかし、それだけでなく、血のつながっていない二人の人間が、肉親と同じような「一つの肉」という関係になることをも表しています。そして、「父と母を離れて」というのですから、夫婦の関係は親子の関係よりも緊密な関係であるということをも表しています。

この夫婦の関係を表す御言葉について、パウロは「この神秘は偉大です」と言います。そして、「わたしは、キリストと教会について述べているのです」と断言します。これはどういうことかと言いますと、「人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」という御言葉は、「キリストと教会」の関係を述べる御言葉であるということです。つまり、一人の男と一人の女という別々の人格が結ばれて一体となるという教えは、実に神秘的で、キリストと教会が結ばれて一体となるという教えをあらかじめ表しているのだ、ということです。キリストと教会は、別々の人格をもっています。キリストは罪のない聖なる方です。教会はキリストを信じて罪を赦された罪人たちの共同体です。キリストの人格と教会の人格は、まさしく天と地ほどの差があります。それにもかかわらず、キリストと教会は信仰によって結ばれて一体となっています。ここに、独立した人格が結ばれて一体となるという神秘的な教えが示されているのです。(3月22日の説教より)