エフェソの信徒への手紙5:25-28
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。(エフェソ5:25)
この「妻を愛しなさい」はアガパオーというギリシア語の動詞の命令形で書かれています。しかし、妻に対する勧めの場合と同じように、「聖霊に満たされて互いに仕え合うように」という勧めの一環として、夫に「妻を愛しなさい」と勧められていることを忘れてはならないでしょう。
どのように愛することが勧められているかと言うと、「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように」です。言い換えれば、キリストが教会の救いのためにご自身を十字架の犠牲としてささげたように、ということです。これを聞くと、夫の立場にある方は「そんなことはできません!」とおっしゃるかもしれません。しかし、この御言葉は、クリスチャンである夫に対する勧めです。つまり、キリストがご自身を十字架の犠牲としてささげてくださったことによって、罪の赦しを受けている夫に対して、パウロは「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」と勧めているのです。ですから、これは単にキリストを模範にして自分を犠牲にしなさいという勧めでありません。キリストの犠牲的な愛によって罪を赦されて救われたのだから、その受け取った犠牲的な愛をもって妻を愛しなさい、という勧めです。
この手紙の5章2節において、パウロは「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」と勧めていました。この5章2節の「キリストがわたしたちを愛して」の「愛して」にも、25節と同じアガパオーという言葉が用いられています。そのことからもわかりますように、このアガパオーという言葉は犠牲的な愛をもって愛することを意味しているのです。聖書の研究者によれば、家族について教えるギリシアやローマの文書では、このアガパオーという言葉は用いられないそうです。夫が妻を支配するという考え方が強かった時代の中で、妻を犠牲的な愛によって愛するように夫に教えるパウロの教えは、革命的とも言える新しい教えでした。
(3月15日の説教より)