テサロニケの信徒への手紙一2:9-12

あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。

(一テサロニケ2:11-12)

 

「神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めた」とあることから、パウロの信徒たちに対する指導には優しさと厳しさの両方が伴っていたことがわかります。「励まし、慰め」という言葉には、迫害による苦難の中にあって、信仰生活を続ける信徒たちへの優しい配慮が感じられます。また「強く勧めた」と翻訳されているマルチュロマイというギリシア語の動詞には、「厳粛に強く主張し要求する」というニュアンスがあります。そのため、福音派の教会で用いられている新改訳聖書の新しい版は、この言葉を「厳かに命じました」と翻訳しています。つまり、信仰と生活の指導には、従うことを強く求める厳しさがあるということなのです。

どうしてそのような厳しさが必要なのでしょうか? 12節の後半には「御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます」と記されています。つまり、神様は私たちを滅びから救い出して、「御自身の国」すなわち天国と「栄光」すなわち栄光に輝く永遠の命を受け継がせようと招いておられるということです。それゆえ、そのような神様の御心に沿って歩むということは、「気が向けばそうしたほうがいいです」とか「できればそうしたほうがいいです」といった軽いものではなくて、「そうしなさい。そうしなければ滅びます」と言って、厳粛に命じるべきことなのです。ギリシア語の原典でこの箇所を読むと「招いておられます」という翻訳されている動詞は、現在形の分詞形という形で書かれていて「神」という言葉を説明しています。新改訳聖書では、そのような原典の文法が忠実に表現されていて、「ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩むよう」と翻訳されています。私たちが用いている新共同訳聖書では12節の前半に「神の御心に沿って歩むように」とありますが、これは「御心に沿って」という言葉を補ってわかりやすくしたいわゆる意訳です。多少わかりにくい表現かもしれませんが「ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩むよう」というのが、パウロの意図をよく伝えている翻訳の仕方でしょう。今、神様がクリスチャン一人一人を天国と永遠の命へと招いて召しておられるのですから、それにふさわしい歩みをしなさいという厳かな調子が伝わってきます。パウロが信徒一人一人のために心を砕いたのは、天国と永遠の命へと絶えず招いてくださっている神様の招きを一人一人に伝えるためにほかなりませんでした。        (1月18日の説教より)