コリントの信徒への手紙二5:13-15

その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。           (二コリント5:15)

 

「その一人の方」というのが、キリストのことであるのは、言うまでもありません。よく心に留めたいのは、その次のところです。これまでの文章の流れをそのまま受け継ぐならば、「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、すべての人が、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」となるところでしょう。しかし、パウロは「すべての人が」とは書かないで「生きている人たちが」と書いています。そして、「生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」と述べています。この言葉の変化には大切な意味があります。すなわち、「生きている人たち」というのは、キリストを信じることによって新しい命を与えられて「生きている人たち」という意味です。もしそれまでの「すべての人」が文字どおりの「すべての人」ではなく、キリストを信じる「すべての人」という意味であるとすれば、パウロはあえて言葉を変える必要はなかったでしょう。それまでの「すべての人」は文字どおりの「すべての人」つまり全人類であったからこそ、ここでは言葉を変えているのでしょう。すなわち、キリストを信じることによって新しい命を与えられて「生きている人たち」だけが、「もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きる」ようになるということです。

このことの意味は、パウロの人生の歩みを考えればよくわかります。パウロはクリスチャンになる前は、ユダヤ教のエリートの教師であり、クリスチャンを迫害していた人でした。ところが、クリスチャンを迫害するためにダマスコへと旅をする途中で、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒9:4)と呼びかける天からの声を聞きました。天におられる復活のキリストが、パウロに語りかけたのでした。パウロは目も見えず、食べることも飲むこともできないような衰弱した状態になってダマスコの町に連れて行かれました。ダマスコの町でキリストの遣わしたアナニアというクリスチャンに出会い、洗礼を受けてクリスチャンになりました。そして、180度の方向転換をして、キリストを宣べ伝えるために生きるようになりました。どうして、そのような180度の方向転換をしたのでしょうか?それはフィリピの信徒への手紙の3章9節に記されていますように、「キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義」のすばらしさを知ったからです。

(11月23日の説教より)